東日本大震災から8年。
この8年は結婚出産子育てと、私にとっては瞬く間にすぎて行ったように感じた8年でしたが、この日ばかりは今でも鮮明に覚えています。
家族ができ、母になり、子供達を守っていかなくてはいけない立場になり、今一度、【保存食】について考えて見ました。
5人家族が1週間食べつなぐために必要な食料
大きな災害が心配される近年では、各家庭で1週間分の食料を備えておくことが大切だと言われています。
1週間・・・。
結構大量ですよね。
以前、停電になった時、猛暑と言われる真夏の真っ只中にもかかわらず、冷凍庫は半日ほど冷凍のまま頑張ってくれていました。
お陰で、冷蔵庫の中は大きな被害を受けることはありませんでした。
災害時、冷凍庫&冷蔵庫は大きなクーラーバッグになります。
バタバタと無駄な開け閉めは避けるのをお勧めします。
そこで災害時の1日目は冷蔵庫のものを食べると考え、2日目以降からの食料を乾物や保存食で賄うと想定します。
1日3食×6日分=18食
これを我が家の場合は5人分なので90食。
例えば1食をレトルトのカレーライスと考えるなら
カレーライス 90パック
パパッとライス 90パック
必要になります。
もちろん、飽きもあるので、麺、ご飯、パンなどを混ぜながらバリエーションを増やして保管しなくてはいけませんね。
私が失敗した保存食の方法
2018年6月に起こった大阪北部を中心とした地震で震度5クラスの地震を、2018年9月の台風21号で停電を経験しました。
その経験の中で保存食に関して感じたことがこちらです。
①被災時の心境でカレーライスは食べづらい
私、カレーライスが大好物なんです。
スキー場で必ず食べたくなるものはカレーライスです。
でも、2018年6月に起こった大阪北部での地震の際、しばらくはカレーライスを食べたいという気持ちにはなりませんでした。
味の濃いもの、香辛料のあるものはどうしても食べようと思えなかったです。
②普段食べない保存食はやっぱり食べない
水で戻せる保存食を導入していたのですが、やっぱり美味しくありませんでした。
「災害シミレーションデー」などを作って、家族で食べておくといいそうですが、なかなか手が伸びません。
気がつけば、保存食で保存期間が長いにもかかわらず、保存期限が切れていました。
③普段のストックと一緒にしてはいけない
ローリングストックとして普段のレトルトや保存食と一緒に管理していました。
しかし、保存すべき数を把握できていなかったため、消費する一方になってしまいました。
おかげで「あとで買い足せばいいや」の連続で、肝心な時に食べたい物が不足してしまいました。
見直した保存食の管理方法
そんな反省を踏まえて、現在ローリングストックで保管しているものがこちらです。
トップバリューで「カレー」「中華丼」を購入してみました。
レトルトの場合、長男長女で1パック、次男は離乳食が始まったばかりなので0とし、1食分を3パックで考えています。
カレーライスばかりになって、災害時にテンションが下がるのを避けて、中華丼も購入してみました。
他にも牛丼や親子丼、麻婆丼なども他店舗で見つけたので、また試して食べてみようと思います。
こんな感じでバリエーションがあるものをガツっと購入するのも楽かもしれない。
ちなみに、子供のテンションを少しでも上げられるように、キャラクターのレトルトも用意しました。
左のオレンジは、プリキュアカレーの小さいパックタイプです。
大きなダイソーの店舗に売っていました。(2019年3月時点)
テーブルマークのご飯も10パック購入しました。
災害時にどうなっているかはわかりませんが、ご飯の場合は、カセットコンロと圧力鍋でもご飯が炊けるかな?と思い、この数にしてみました。
また災害時の電気の復旧の目安が1週間ほどと言われているので、電気が復旧すれば、炊飯器でもお米は炊けるかなと考えています。
パスタは少量の水があれば電子レンジでも茹でることができますしね。
【専用容器がなくても】レンジでパスタを上手に茹でる方法、大公開! | クックパッドニュース
そうそう。
我が家の場合はホームベーカリーもあるので、電気が復旧すればパンも焼けるかなと思っています。
ホームベーカリーや炊飯器のような調理家電は「便利」「時短」だけではなく、災害時の1つの調理手段としても活用していける価値があると思っています。
そして忘れてはいけないのがおかずや野菜。
写っているのは魚肉ソーセージですが、この他に煮豆やフルーツ缶なども常備しています。
オススメはみかんの缶詰と焼き鳥缶です。
こういうのも便利ですね。
特に野菜やフルーツのような災害時には大事。
考えれば考えるほど分からない防災
地震や豪雨、台風は毎年どこかで発生しているし、毎年何処かが被災地になっている。
日本で暮らす以上、災害は切っても切り離せない。
でも、自分たちの暮らす町や暮らす家、そして家族が、どういった状況になるかなんて、誰にも分からない。
だからこそ、色んなパターンで備えて置かなくてはいけないのだろうけど、全てを100%に備えることは難しい。
だからこそ、近くの人たちで助け合っていく関係を築けられるのが、ベターな策なのかなって思います。
「広く浅くまるく」のマルコさん、ご近所さんと集まれる関係性が素晴らしいです。
子供達への伝え方も、まだ模索中
この時期になるとやはりテレビで一度は目にする東日本大震災の光景。
すでにテレビで子供達と目の当たりにしているのですが
「車、助けてって言ってるよ」という2歳の長男
「家が無くなってるよ」と驚きを隠せない5歳の長女
私たちが経験したものとは比べ物にならないほど大きく、被害も甚大だった地震を子供達にどう伝えていいか分からず
「そうだね」と相槌を打つばかり。
東日本大震災のちょうど1年後に、実は被災の1つである岩手県釜石市に出かけました。
友人が仕事で復興の支援をしているというので、友人と被災地の様子を伺いに。
あの奇跡の一本松はまだ立っている時でした。
避難所だった体育館が流されてしまった後も
区画だけが残り更地のようになってしまった住宅地と思われる場所も
もぎ取られたように地肌を見せる森林も
見れば見るほど言葉にならない気持ちで息を飲むばかりでした。
幸い、駅前には少しずつ店舗が立ち並んでおり、夜には居酒屋さんもポツポツ明かりを灯し始めていました。
駅直結の建物には他府県からきた方が出店したお店もありました。
色んな方が色んな思いを持って、この地を支えようと、何かを取り戻そうと、もがき始めているのを感じました。
子供達に私は何をどう伝えられるのだろう。
今日、午後2時46分。
私はきっと子供達と家にいる頃。
何も伝えられなくても、ぎゅっと手を握って一緒にいようと思います。
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被災の状況は比べ物にはならないですがレポしています。
ガスをお使いの方は、マイコンメーターの操作方法だけでも見ていってください。
地震発生直後、私の頭の中は家事炊事でいっぱいでした。
準備していた防災リュックはおもすぎて持ち運べませんでした。
太陽光をしている方は、必ず一度確認してください。
このまま子供達を大人にしてはいけないな、と思いました。