10年後、おそらく何かしら仕事を通して社会に関わっているだろうとぼんやり考えている、がっちゃんです。
しかし、いざ10年後になって、AIが発達した社会の中で、もう私ができるような仕事は社会に残っていないのかもしれない。
インターネットはここ20で世界を大きく変えた。
インターネットの“たった20年”で世界を変えた仕組み
引用:10年後の仕事図鑑 P200
ちょうど20年くらい前。
私はテレビでスーパーに行かなくてもいい冷蔵庫が今後海外で開発されるという話をみました。
冷蔵庫の扉に注文画面がふわっと立ち上がり、必要なものをタッチすると冷蔵庫に購入したものが入っていくという話。
「いやいやいや。そんなの無理でしょ。冷蔵庫のドアがドラえもんのどこでもドアになっちゃうってこと?」と、当時小学生の私には、現実する未来を想像できなかった。
でも、およそ20年後の今。
昨日ネットで購入したものが、翌日には自宅に届くような時代になってしまった。
お店に行かなくてもよく、レジでお金だって支払ってない。
20年ほど前にも通販システムはあったが、ここまで日常に根付いたものではなかった。
「いやいやいやいや、またそんなテレビみたいな話を…!」を思ってしまう事が着実と現実化していっているのです。
とすればこの先10年で今では考えられないほどの変化が起こったとしても、それは不思議なことではない。
それなのに、私ときたら過去の古い価値観に縛られ、今と変わらない社会が10年後も続くと思ってやまないのです。
そう、私はこの本を読むまではひどくぼんやりと未来を考えてた自分に気が付きました。
きっと私がこのまま社会復帰したならば、間違い無く浦島太郎になっていたのでしょう。
しかしこの本が気がつかせてくれた。
「10年後はもっと変化に富んだ未来が待っている。そこにあなたはどうかかわっていくのか?何ができるのか?」と。
それに気が付いた今こそがスタートであり、チャンスなのです。
私の仕事観はすでに化石化している。
私の仕事観の欠片が、先日公開した私とつま子ちゃんとの対談記事にもちょろっと出ていました。
が:たぶん、なんでお金がもらえるの?って言うところに、「楽しいことして生きていたい」って人は抜けてる気がするわ。
つ:んん?もう少し詳しく!!
が:「誰かが困ってること。誰かが喜びを得たいこと(非日常的なお祝いや旅行)」そういう所に人はお金を払うじゃない。
つ:うんうん。
が:それって、「自分がたのしいこと」とは限らなくない?
つ:うん。
が:でも、それをやってくれるからお金をもらえる部分もあるじゃない。
ただ、それでもその仕事にやりがいを感じて楽しいと思うかは、人それぞれでさ。
だからさ、稲垣さんの話、すごく頷ける。
つ:ああ、自分の楽しさを先行させるのはちがう、ということかな。
が:そうそう、なんか最近、そんな話ばっかり目にするもんだから、ついつい老婆心がうずいちゃった(笑)
参照:【対談】「仕事、辞められない…」からの、決意の退職。脱ワーママの2人が、赤裸々に語ります! - 明日も暮らす。
わたしはまだまだ「仕事」と言うものを「労働」という枠組みで見ているようです。
ここ数年、ワークライフバランスだの、ノマドだの、フリーランスだの。
かつては変わり者扱いされていた考え方が、どんどん明るみになり、社会でも問立たされるようになってきています。
こうやっていち早く先陣を切り拓いてきた人たちの行為は、長く日本社会に染みついた労働観からの脱出であり、仕事と言う物の提唱だったはずなのに。
私はまだこの風潮についていけず、どこかで「自分が楽しい事ばかりをしてお給料を頂くって何だか変な感じ。」と言う古臭い概念がこべりついています。
そんなものは早く化石化して地中に埋めておき、次世代の化石燃料とでもなってしまえばいいのだ。それでいいのだ。
今の私はAIに仕事を奪われる人間である。
無駄に職歴の多い私ですが、そのほとんどが事務職です。
今後社会復帰した時に似たような仕事を選ぶのであれば、それはもう定年まで働き続けることはできないのかもしれません。
「人間対機械」の役割の最適化は簡単だ。検討する材料になるのは「コスト」でしかない。つまり機械が行ったほうがコストが低いのであれば機械に任せればいいのだ。もちろん、手技による付加価値の様なものは保障されるはずだ。これは、前章で説明した“くら寿司”がわかりやすい例だ。
こうした社会の変遷を考えれば、これから「なくなる仕事・減る仕事」が見えてくる。不当に給料が高い仕事は機械に代替えされるし、逆に低コストな仕事も変えられてしまう。
引用:10年後の仕事図鑑 P75~76
今後、仕事は人間と機械でもっと分業され、単純作業は全てAIの様な機械が担っていく社会になる。
とすれば、今ですら「半分人間」「半分機械」がやっているような「事務」と言う仕事は、どんどん機械の作業領域へと移行するのでしょう。
AIの開発が進み普及していけば、コストは自ずと下がってくる。
そうなった時に「あなたにはAIとは違う付加価値が見出せますか?」となりかねないのです。
これは営業事務をしていたころに、どことなく感じていました。
私がかつてしていた営業事務は、FAXや電話、ネットから注文があれば、それをひたすら管理システムの中に打ち込んで、出荷作業の方へまわしていくのがメインの仕事でした。
私はもっと作業をシステムに任せる事が出来るのではないか?と思って、社長面談で話したら「難しいね~。手書きでシャシャット書いてくる昔からお付き合いのあるお客さんもいるからね~。」と笑われてしまいました。
そう。
ほんとに手書きで殴り書きの様な注文をしてくるレトロなお客さんもいれば、お客さんの方に独自の発注システムが出来上がっており、こちらがそれに合わせなくてはいけない事もありました。
しかし、そういった所に人的コストを掛けることが「付加価値」であり、それ以外のところを機械化すればいいだけの話なんだとこの本を読んで今になって気が付きました。
ふむ…。
しかしAIに仕事を奪われる事を悲観的に考えるのは意味が無くダサい(らしい)。奪われる事で広がる未来もある(らしい)。
古い価値観にとらわれ、AIに奪われる仕事ばかりをこなしてきた私にとって、AIの進歩は悲劇のようにも見えます。
人間の労働が機械によって代替えされる事例が増えるにつれ、「AIに仕事が奪われる」といった悲観論を最近よく聞くようになった。仕事がなくなる、お金を稼げなくなると、生活に不安を感じている人もいるだろう。
ただ、もしそうなっても、なんら問題はない。人間がやらなければならなかった仕事の時間が減り、自由な時間が増えるだけの話だ。さらに、生活コストはどんどん下がっていくので、何も無理に働いてお金を得る必要もなくなっていく。
(中略)
ではその浮いた時間で何をすればいいのか?ひたすら好きな事をしていればいいのである。もしかすると、「好きな事ばかりしていたら、仕事が減り、収入が減る」と言う人がいるかもしれない。たしかに、生活するにはまだまだ一定の収入が必要な時代だ。ただ、そういった人たちには、「現代は好きな事でお金が稼げる時代だ」と教えてあげよう。
自分の「好き」という感情に、ピュアに向き合い、ひたすら没頭すれば、いつかそれは仕事になる。
引用:10年後の仕事図鑑 P17~18
しかしこの本では冒頭からAIに仕事を奪われる事を悲観するのは、あまりにも時間の無駄であると何度も言葉を変えていっています。
私にはまだこの事がピンときなかったのですが、落合さんがこう教えてくれます。
AIに「仕事を奪われること」で救われる業界もある。
(中略)
「AIに職を奪われる」と悲観する人は多いが、そもそも悲観的になっている職業自体、本来は人の認知能力に対して十分な仕事ではないということである。
日本が抱える多くの社会課題は、労働力不足とコミュニケーション不足があるがために、お金や人員が「適材適所」に割り振られていない事が原因だ。
引用:10年後の仕事図鑑 P30~31
ここからは、AIが今後少子高齢化に見る介護問題に関わる事で、いかに問題を解決できるか?という落合さんの話に変わっていくので、せっかくなら私の考えを少し。
私は以前、介護系の会社に勤めていました。
その時の会社の社長はとても勉強熱心で福祉の先進国でもある北欧に実際に足を運んで、北欧の福祉や介護を目に焼き付けてきたそうです。
そこでは日本で人が担っている部分の多くを介護ロボが担っていたのだとか。
しかし、日本の介護現場ではいまいち介護ロボットの導入が進まない。
介護施設が抱える経営問題と介護ロボ導入のコストの面で難しさはあるが、果たしてそれだけであろうか?と。
いや、多分それだけではないのじゃないか?という結論になりました。
その答えの1つが、日本人が「ケア」に求めるものが人対人であってほしいと思うからではないか?と。
介護ロボットの導入を否定するつもりは全くありません。
むしろ介護現場ではたくさんのスタッフさんが腰痛に悩まされているので、介護ロボットはそれを解消してくれる役割もあると思っています。
しかし、もし日本でAIが進み介護・福祉の業界に入ってくるのであれば「介護スタッフをサポートする器具」「被介護者を部分的にサポートする器具」としての開発の方がしっくりくるのではないか?と。
今後、日本社会がより一層社会問題として迫られる少子高齢化問題においても、AIの普及と言うのは、意外と突破口になるかもしれません。
まぁ、これはあくまでも雑談の中での話です。
じゃあ結局、私、どうしたら浦島太郎にならなくて済むのだろう?
遊びに没頭しろ。
これはすでに様々なところで言っていることだが、これからは「労働」をしなくても、遊びを極めることでお金が稼げる。
それも、限られた一部の人だけではなく、誰もが「遊び」でお金を稼げるようになる。現代の日本に蔓延している「やりたくないことを仕方なくやること=仕事」という考え方は大きく変わるだろう。
ブロガーやユーチューバーやインスタグラマー…。
(中略)
彼らの様な「新しい仕事」で成功している人たちには、共通点がある。
1つ目は、まず「作業にハマっていること」だ。
(中略)
そのために必要なのは、自分の感覚を信じて、自分で方法を考えることである。自分で作ったルール、自分で立てたプランだったら、納得感を持って取り組むことができるし、やらざるをえない。つまり、自分でルールを作ることで、ものごとに没頭でき、好きになることができる。
引用:10年後の仕事図鑑 P55~56
とにかく、自分の楽しいと思うことを追いかけ、その中で田院との差別化を行えば、その興味は、いずれ仕事になる。信じられないかもしれないが、興味を持つことが、熱中する事が、遊び狂うことが、仕事になるのだ。そのような状態を、僕は「遊び倒す人生」だと考えている。
引用:10年後の仕事図鑑 P220
そんな人生、送ったことありませんでした。
凝り性で飽き性な私はいつも多趣味の持ち主。
あっちにちょっと手を出して
こっちもちょっとやり始める
最初は楽しくて道具とか集めるのですが、自分より上手な人がいたり
ある程度すると飽きて放り出してしまう。
物事を深いところまで突き詰めないから、結局全ては趣味レベル。
そう、この30数年。
私は遊び尽くすほど熱狂的になったことが無いのです。
こちらの本の中ではユーチューブを「親が教えられない事を教えてくれるもの」と位置付け、その活用方法が書かれてありました。
このレビューには書ききれなかったのですが、私はそれをすごく良いと感じました。
なぜならば
とことん「好き」を突き詰めて発信したものが、しっかりと社会的に意味のあるものへと循環していく。
下らないことでもいい。
誰からも評価されなくていい。
でも、積み重ねた先にしか見えないものがある。
そんな積み重ねの先に、「親が教えられない事をおしえてくれるツールになる」と誰かが価値あるものとして評価されている事に、感動すら感じてしまいます。
そう。
きっと、専業主婦の私が浦島太郎にならない為には、遊び倒すほど何かに没頭し、熱中しなくてはいけない。
私たちはAIではないのだから無機質な大人になんてなってはいけない…!
未開の地を拓くのは、いつだって人間である。
堀江さんが「人類は50年前に、すでに宇宙に到達している」と言っていたが、やはり、未開の地を拓くのは、いつだて人間なのだ。
今のところ、統計処理からもたらされる最適化プロセルには「これがやりたい」と言う動機が無い。ゴールを与えれば人間には太刀打ちできないスピードと精度でそれを処理するのに、いつも指示待ちなのが残念なところだ。
つまり、モチベーションを働けるところに人間の役割があり、人間社会をどうしたいか、何を実現したいかといったモチベーションは、常に人間の側にある。
(中略)
堀江さんの言う通り、仕事は「受けるもの」ではなく「つくるもの」。マインドセットが変われば、「生まれる仕事」の側に居続けることができる。
引用:10年後の仕事図鑑 P144
「何かしたいと思い」「その何かを遊びつくしてみる」「そしてそれを発信し続けてみる」
意外と、私が今「ブログ」をやっている事に似ているのかもしれません。
私のとってこのブログは私の生活や人生における「付箋」の様なもの。
「こうしたい」
「あれしたい」
「とりあえずやってみた」
私が日々発信する事は、宇宙に行くほど突拍子もないものでもないし…
もっと身近な所で熱狂できる何かを探し求め続けることに、今後形になってくるものがあるのかもしれない。
じゃあそれをもっとストイックにわき目も振らずやってみてはどうだろう?
それはもう確かに「労働」ではないのかもしれない。
このブログの見えるところでアクションできるかもしれないし、やっぱり出来ないかもしれないし。
でも、ちょっと2019年、一皮むけられるように、熱狂してみたいと思います。
私には時空を曲げる玉手箱はいらない。
ただ日々を熱狂的に生きてみたい。
そして、「10年後の仕事図鑑」のアンサーになるような本を見つけたので、今度こちらも読んでみようと思っています。
あ、こちらも落合さんの本ですね。
最後にこぼれ話
断片的に物事を見ては損をする
私は堀江さんと言う方をとっても斜めから見ていました。(以下、極めて失礼な文章が続きます。)
逮捕前にテレビにタレントの様に出ていた頃もどこか胡散臭さを感じていて。
で、結局、逮捕されてしまって。
その後も何だか乱暴な発言をしては、たまにネットニュースに上がってくる。
まぁ、はっきり言って「おっかない人」だと思っていました。
でもこの本を読んでいて、言葉足らずな人なんだと理解しました。
この本で堀江さんが主張する話はとても極端だけれども、とても「納得」出来る話が多かったです。
堀江さんの本を探せば、びっくりするほど多く、「売れる文章の書き方」や「自分の見せ方」を熟知している方なのかもしれませんが。
今回初めて堀江さんの本を読んで、自分自身がいかに無知で、断片的な何かで物事を判断していたかを思い知らされました。
そして、今まで堀江さんの本を読んでこなかった事をもったいなかったなぁとも思いました。
その時代を象徴する人が発信する本は、今後読んで行こうと思います。
小難しい事は多少書かれているけれど、それでも読みやすい本でした。
専業主婦には頭が揺さぶられるほど刺激的な本でした…
— がっちゃん@3児母 (@gu_gu_life_blog) 2018年12月20日
どうしよう…この付箋。どこから咀嚼したらいいんだろう…。 pic.twitter.com/GFJR5Pjgsr
この本を読んだ後、新しい概念を小さな小さな私の脳みそにガコーンと無理やり入れられたような感覚でした。
それでも落合さんは落合さんなりの表現で、堀江さんは堀江さんの表現で反芻してつづられているので、読んでいてワクワクする本でした。
まぁ、堀江さんも落合さんも博学なお二人なので、小難しいワードがちらほら出てきましたので、思考はフル回転でした。
★今回私に「このままでいいわけがない」と衝撃を与えた本はこちらです★
「答え合わせに意味はない。時間の無駄。」と堀江さんには一蹴されそうですが10年後にもう一度読んでみたい タイムカプセルのような本でした。
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