次男の入院騒動でバタバタしてしまい、長女の誕生日をうっかり忘れていた朝。
夫が長女にあてたお誕生日祝いの手紙で、ハッと気が付きました。
そうだった。
今日、長女は5歳になったんだった。
特別なことはなくても「誕生日」と言う日はそれだけで特別
言い訳がましいことを大きく言って恐縮です。
今まで飾り付けや華やかなお祝いをしたことがなく、プレゼントをあげてケーキを食べて「おめでとう!」で完結していました。
色んなブロガーさんの飾り付けを見ていて「今年こそはわが家もやってみよう」なんて思っていたはずが、気がつけば当日だもん。
ごめんね。こんな母ちゃんで。
それでも長女は朝からずっとそわそわしていて「今日は長女ちゃんの誕生日なんだよ~ぐふふふふ♡」と嬉しそうに幼稚園に出かけていきました。
「おめでとう」を言う前からご機嫌で
いつもの質素な朝ごはんでもご機嫌で
今日着ていく服を考えている間もご機嫌で
誕生日プレゼントはすでに渡し済みの長女にとって、特別なことなんて何にもない平日の朝のはずなのに。
誕生日って言うだけですごく幸せそうなんだもん。
子供ってほんとすごい。
見習いたいよ。
おめでとう。
ありがとう。
そんな長女の最近の企て
「さら砂に水を入れて、一晩寝かせてたやつを~」
「ホイ!!」
「パッカーン!あ、失敗失敗!へへへ」
何がしたいかって言うと、ケーキを作りたいらしいです。
幼稚園のもっと細かいさら砂(さらさらした砂)だとうまくいくらしいです。
「もう一回やるよ~!!」
と最近何やら幼稚園でやったことを披露してくれようとしています。
大人は結果を知っている事でも、披露している時は楽しそうなので、ニヤつきながら見守っています。
そしてそんな幼稚園では何やらかわいらしい遊びが大流行。
ルールなしのリレーがかわいすぎる件
長女の幼稚園の運動会でフィナーレを飾った年長さんのリレー。
年少さんの長女のクラスでは、そんな憧れの年長さんを真似た「ルールなしのリレー」がはやっているようです。
最近園庭開放にも少しずつ顔を出せるようになり、長女がお友達と生き生きとした顔で遊んでいる姿を見て、まぶしく思っているわけですが…。
ん?
よく見ると、ちょっとずつバトン交代の場所がずれていっている。
ルールがないから、とりあえず2~3人が園庭を回送して、8人くらいが待つバトン交代の場所で誰かしらにタッチ交代。
みんな自分がタッチしてほしいから、手をいっぱい伸ばして一歩一歩前のめりになってさ。
ちょっとずつちょっとずつバトン交代の場所が前のめりになってずれていくの。
ほんとかわいすぎるわ。
なんやかんやでお母ちゃんも6年目突入
生後1ヶ月くらいの子を抱っこして
— がっちゃん@3児母 (@gu_gu_life_blog) 2018年11月12日
産後戻りきらない体型で
低いパンプス履いて
ちぐはぐな服装で
化粧もままならなくって
ミスドの前をウロウロする女性。
あまりにも5年前の自分に似ていて「大丈夫だよ」って声をかけたくなった。
稼ぎのない身でミスドで休憩するのすら贅沢に思えて入れなかった。
5年ほど前。
長女が生まれたころは、「子供1人にウン千万円かかる!」とか「老後にはウン千万円かかる!!」とか脅迫めいたような言葉におびえて、稼ぎのない私は「節約だ節約だ!」と肩身の狭い思いをして暮らしていたな。
自分を大事にしていなかったから、他の人(特に夫)にもあたりがきつかったように思う。
今はもう色んな事を手放して、自分のことも大事にできている様な気がする。
ミスドやマクドにも自分のために気軽に入れるようになった。
おしゃれなカフェには未だは入れないけど…
私は研究者でも技術者でも開発者でもなんでもなくて、未来に紡いでいけるものは何も持っていないし、今後もきっと何もない。
でも、そんな私でも出来ることがあるとすれば「優しさのバトン」を次につなげていくことだろうか?と思った。
私が直接親切にしてもらった人には、私がそれを返すことは出来ない。
でも別の人へ形を変えて返していくことで、またその人が違う人へと優しさをつなげていってくれるかもしれない。
だとすれば、歴史に名の残るようなことは出来ない私でも、ひとが暮らすうえで大切なことは残していけるような気がした。
長女にもそれを姿で見せていければいいな、なーんて大きなことを、ここだけでコソッと言っておこう。
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