実は先日、1週間ほど次男が入院しておりまして、その間、義母が手伝いに来てくれていました。
その時、義母がフライパンを新しく買ってきたんです。
わが家は少ないもので暮らせるよう、過度に物を増やさないようにしています。
だから「なんで?今あるので十分だし、自分の家でもないのになぜ買ったのだろう??」とすごく疑問に思っていました。
義母にはいつも不要なものはもらわないように、断っているのですが、なかなか伝わっておらず…。
過去にもそういうことが多々あったので、「またか…」と夫と話していました。
でも自宅に帰宅し、改めてフライパンを見て、義母がフライパンを買った気持ちが分かりました。
写真に映ったフライパンは悲鳴を上げていた
毎日、当たり前のように繰り返し洗っては使っているのに、フライパンの劣化に気がつけていなかったんです。
頭の中で、フライパンを新しい記憶のまま使っていたのでしょう。
さらにこのフライパンは、長男の出産の時に義母が買ってきたもので、まだ2年半ほどしか使っていません。
だからということもあって、私の中ではまだ「新しいフライパン」だったんです。
そういう「思いこみ」が強くこべりついていて、私はフライパンの悲鳴に気がつけていませんでした。
「思い込み」を解放してくれる写真の冷静さ
本音を言えば、写真を撮るまで私はブツブツ文句を言っていたんです。
「あ~せっかく整えたキッチン収納どうしよう。またフライパン増えちゃったよ…」って。
でも、ブログ用に写真を撮ってみたら、それこそフライパンで殴られたような衝撃でした。
私の思っていたフライパンの姿はどこにもありませんでした。
写真はうそをつかない。
スッピンの顔だって
着古した服だって
掃除の行き届かないわが家も
全部一緒。
うそつきなのはむしろ私の頭と目。
手放すか、使い続けるか迷っているものはいったん写真を撮ってみようと思いました。
また、これからは家の中をどんどん写真にとって、自分なりに検証していこうと思いました。
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